邦人人質

自衛隊を撤退すべきか否かという議論は今なされるべきことではない。
では少し遡って、自衛隊を派遣すべきか否かという議論であればどうか。それもやはり、アメリカのイラク攻撃を支持した後であれば当然に派遣すべきということになるだろう。

それよりも今思うことは、なぜアメリカはイラクを攻撃したのだろうということ、そして、なぜ日本はアメリカのイラク攻撃を支持したのだろうということだ。

テロの正当化は当然に許されないけれども、だからといって武力に対して武力をもって報復することは許されない。少なくとも日本人なら、そんなことは誰でも知っている。いや、少なくとも僕は、そう思っていた。
だが、2001年9月の同時多発テロ直後から、アメリカは武力による報復を(つまり彼らの「正義」を貫く考えを)表明し、日本政府も、多くの日本国民も武力による報復を支持した。
そしてアメリカのイラク攻撃。どんな大義があろうとも、武力という解決手段は容認されるべきではない。僕はずっとそう信じていたけれど、世間の論調は違っていた。テレビも新聞も、アメリカのイラク攻撃は当然だという主張を繰り返していた。どう正当化したらそうなるのかはとうとう理解できなかったし、いつから日本人はそんなに戦争好きな国民になったのかと不思議でならなかった。テロに屈しないということと、武力による報復が正しいかというのは全く別次元の問題なのに。

日本がアメリカによるイラク攻撃を正当視した瞬間から、日本がこの戦争に否応なく巻き込まれるというのは必然だった。
日本は戦争そのものにはタッチしないという「ふり」をいくらしてみせたところで、それは意味を持たないポーズでしかない。アメリカが(表向きは)制圧したイラクという地で、自衛隊が何らかの活動をする。それはいくら「人道支援目的だ」と主張したところで、そうは映らない人もいるだろう。

今、邦人が誘拐され、自衛隊の撤退を人質解放の条件として提示されたことで、ようやく日本人は自分たちが本当に戦争の当事者になっていることを知った。確かに、民間人を誘拐して戦争の具に利用することは卑怯で許せないことには違いない。だが、これは戦争だ。卑怯だという理屈は通らない。
今自衛隊の撤退を議論することは無意味だ。アメリカがイラクを攻撃したときに、日本は双手を挙げて支持したのだ。反対すべきはこの時をおいて他になかったのだが。

これから、日本はどうやって自分たちの「正義」を主張していくのだろう。日本人がこれから生きていくために必要とすべき武器は一体何だろう。僕は、少なくともそれは軍隊ではないと思うのだ。