幸せな音が響くとき

軽薄な、一時しのぎの、その場限りの言葉はいらない。ほんとうの言葉が、人に届いて、受け入れられることを僕は望んでいる。切望している。
生まれてくる言葉たちが届くべき人に届くことなく、行き場を失って死んでゆく、とてもかなしい光景を僕は見てきた。視線は交わらず、問いかけは宙に吸い込まれる。その世界に僕は存在していないのか?
言葉が心に触れる瞬間、この世界に幸せな音が響く。それは、小さいけれど揺るぎのない、確信を持った鐘の音。
言葉が死ぬ瞬間、かなしい音は鳴らない。ただ、虚無が広がるのみ。
僕の住む世界では言葉がとても大切で、相手を心から想って生まれた言葉は必ず届くものと信じられている。太宰治は言った。「愛は言葉だ。言葉がなくなりゃ、同時にこの世の中に、愛情もなくなるんだ。」(『新ハムレット』より)
 
縁があっても気付かない。気付いても分からない。分かっても理解できない。そんなかなしいすれ違いもある。あるときまでは伝わっていて、何かの境目から伝わらなくなることがある。どちらが正しいという性質のものでもない。いずれにしてもそれは、最初から伝わらないよりも残酷な光景。
世界中に、とまでは言わない。せめて、僕に聞こえる範囲の場所で、幸せな音が響くことを静かに願う。