コンプレックスとの戦い

コンプレックス

小さい頃、運動がまるでできなかった。走るのは遅く、ソフトボール投げは近くに落ちた。サッカーボールを蹴っても飛ばない。バスケットボールはずしりと重く、ゴールは遠く、少年野球では2軍で、しかも補欠だった。学期末に渡される通知票、体育は5段階評価の2をとったことさえある。唯一、長距離走だけがなんとか人並みに近いレベルで走れた。腕力も瞬発力も不要で、根性だけでなんとか戦える種目だったから。
長い間、やせっぽちでひょろりとした体がコンプレックスだった。背だけは高いが、纏う筋肉はなく、非力だった。腕相撲は誰にも勝てなかった。筋トレに何度も挑戦しては挫折した。人間には向き不向きがあり、自分に運動は向いていないのだと考えた。何でもないことのように振る舞おうとした。でも本当は違う自分がいるのではないかとも心の片隅で思っていた。

成長するに連れて、運動は子供の頃より大きな地位を占めなくなってくる。大学では体育の授業は週1回だし、それも運動能力の向上を目指す内容ではない。体育会系の部活動に所属するのでなければ、運動能力が問われる場面もそうそうない。社会に出れば、あとは体力が自然に落ちていくのを眺めているだけで、コンプレックスを助長される場面は多くない。
体力には自信がない。だから体力を失わないように睡眠時間をなるべく長く摂り、疲れないように暮らす。そんな生活スタイルができあがった。インターネットが普及し、ネットの中で暮らす。これも自分に合った暮らしであるように思われた。でも一方で、仮想世界での生活にも飽きていた。

出会い

そんなとき、ひとつの団体と出会う。
この集団は、舞台を創り、キラキラしたまばゆい光で空間を満たした。その煌めきは、舞台の上だけでなく客席の上にまで漂っており、僕はその空気を思いっきり吸い込んだ。
それまで僕は知らなかった。生身の人間がヒトを感動で震わせる力を持つことを。仮想世界だけでは決して満たせない輝きがあることを。
そして、圧倒的な立場の違いに気付いた。ヒトを感動させる側と、感動させてもらう側。彼らはあちら側、僕はこちら側。ここには明白かつ厳然たる、大きな大きな壁か氷か、ともかく圧倒的な隔たりがあるのだ。ここに至って、僕はようやく気付き、熱望した。あちら側の人間になりたい!ヒトを感動させる側の人間になりたいと。
なりたい。なりたい。なれるか?なりたい。なろう。なろう。なろう!やろう!
今までの自分を振り返り、自分の年齢を考えた。体力もなく、やせっぽちで、体力のピークを過ぎたといわれる年齢。この瞬間から一体何ができるのか。今までの無為に生きた人生を悔いた。だが、もう悔いていても仕方がない。今僕は彼らと出会い、気付くことができたのだ。

動力源は熱意のみ

それから始まった舞台への挑戦。もとが何もなかった。動力源は熱意のみ。体力はゼロ。初めて触る楽器は、持つだけで肩に食い込むほど重く、汗がダラダラと流れ、足下はふらついた。一度に2,3分しか持てなかった。週末稽古明け、週の前半は常に筋肉痛との戦い。人様に見せる舞台を創る、生身の体で人を感動させるための武器として、僕には体力も筋力も技もなく、ただ魂だけがすべてだった。
さらにしばらくすると気付く。激しいと思っていた団内の稽古だけでは到底足りないことに。ジムに通い、外部のレッスンを受ける。どこに行っても自分が底辺と知る。そんな中で自分が続けてきたことは、ただ愚直に、ひたすらに、まっすぐに指導者の声を聴くこと。同時に、自分で考え、情報を仕入れ、咀嚼し、行動すること。
一見矛盾するように見える2つの意見も、理解が深まってくると同じことを言っているのだと気付くことができるようになる。場合によって使い分けが必要であることに気付けるようになる。

苦行の筋トレ

人によって感じ方は違うと思うのだけれど、僕にとって筋トレは苦行だった。もともと非力な人間にとって、重量あるものを持ち上げるというのは大変なことで、あっという間に力が入らなくなる。それを繰り返すのだから、苦行以外の何者でもない。苦行でないと思えるようになったのは、ある程度筋肉がついて、すぐにはバテなくなってからだ。
筋肉を纏ったことがない人間が、それを手に入れることは、並大抵の努力ではできない。といいつつ、楽をしていては理想的な体は手に入らないが、無理をすれば怪我をする。攻めと守りのバランスがトレーニングの肝だと思う。ただ、1人でトレーニングをする場合、得てして楽な方、無理のない方に傾きがち。これを、どこまで攻められるかの見極めが大事。

夢のその先

この団体と出会ってから6年半。僕は今が人生で一番体力も筋力もある。もとがなさすぎたわけだけれど、今こうして健康な体を鍛え、動き、舞台でパフォーマンスができる。このことがどんなに幸せであるかを僕は知っている。欲していた「あちら側」がこちら側になった。夢が叶ったのだ。
今僕は、自分たちの活動の素晴らしさを語ることができる。そしてさらなる挑戦に励む。

筋肉をつけると、一度落ちても同じ程度まで回復させるのは比較的容易といわれている。それは、過去の状態を体が記憶しているからだ。逆に、今まで纏ったことのない筋肉をつけるのは難しい。未体験ゾーンへの突入はいつだって容易ではない。今、この未体験の領域を日々更新しようとしている。自分は今も発展途上にある。

僕が出会った奇跡の団体の名は、the CRAZY ANGEL COMPANY。
僕は音楽パフォーマー、根元謙太郎です。

  the CRAZY ANGEL COMPANY
  http://www.crazy-angel.com/