怒濤の振り写し

この前の土日は長時間の練習に加えて2日続けて怒濤の振り写し。ダンス・旗・ステップなどの新しい振りが続々発表。この勢いは公演前よりも激しいくらい。習ったばかりの振りが、覚えるより先に頭から身体からぽろぽろとこぼれていってしまう哀しさ。
振りがきちんと身体に入るまでは、常にどこかに不安感を抱えていることになるので精神的によくない。一発で覚えられたらもっと元気でいられるのに。あうー。動ける肉体と忘れない頭脳がほしい。音楽が鳴ったら身体が勝手に動くようになるまでに、あとどれくらいの努力が必要だろう。すべての観客を魅了できるまでにはあとどれくらいの。
目の前の料理。暗譜が2曲、ダンスが1曲、旗が2曲、ステップが1曲。自分の中でまだ見通しが立っていないのはダンスと旗。かなりの量。むむ。
 
自分の売りは何か。存在意義は何か。自分でなければならない理由はあるか。出された料理をただ平らげるのみでは、感動を搾取するだけの生き物だった頃の自分から何も変わっていないことになる。自分がCAの一員であり続けるためには、自分自身がもっと周りに刺激を与えられる存在でなければ。研鑽と集中力と創造性。提案力。
最近自分に甘すぎた。もっと地力をつけないと。振りを覚えたら終わりではない。自分が料理人である自覚を。あるいは生きのいい素材そのものとして演出家や振り付け師に提供できる柔軟性と吸収力を。