このサイトの決まりごと

このサイトを運営する上で、これだけは絶対にやってはいけないと強く自分に課していることがある。それは、「言葉を刃として使わない」ということ。
インターネットを始めたばかりの頃、僕はこの世界を言いたいことが何でも言える夢の空間だと思っていた。パソコン購入と同時に日記サイトを立ち上げ、毎日取り憑かれたように更新し続けた。その頃開いていたサイトのポリシーは「書きたいことを書く」。リアルの世界で言えないことを自分の好きな表現で言うことができる、このことがインターネットの魅力だと思っていたし、信じていた。どうでもいいことで他の日記サイトの開設者とくだらない喧嘩もしたし、相手を論破することで自分の価値が上がるように思っていた。もし実際に会って話していたら取るに足りないようなことでも、ネットの中で文字だけで構築されている世界だからこそ些細なことでも気になったし、また気になったときにやり合える環境があった。
画面の向こう側にいるはずの生身の人間の感情についてなんて、まともに考えていなかったし、ただ自分が正しいと思うことを堂々と主張することが許される場所だと思っていた。今まで自分の中だけで漠然と考えていた言いたいことを、外に向かって吐き出すことのできる場所であり、それをし続けることによって自分を認めてもらいたいと思っていた。また、認められるべきだと思っていた。そう、僕は誰かに褒めてほしかった。あなたは正しいのだと言ってほしかった。すごいと言われたかった。「あいつの日記よりおれの日記の方が面白い」。声に出してそう言った。本気でそう思っていた。受け入れてほしかった。自分の存在を。ここにいる、誰でもない、この僕を。
書くことは主張することであり、書くことが自分の価値であり、言いたいことを書くことがサイトの意義だった。言いたいことを書く「べき」だと思っていた。自分のサイトであり自分の日記なのだから、自分の言いたいことを主張「しなければならない」と思っていた。それが許されるか許されないかではなく、当時の僕にとっては心の中にある言葉をぶちまけることが生活そのものだった。
 
人間が持つあらゆる感情の中で、最も鋭く激しいのは怒りだと思う。
その感情をコントロールすることができず、僕はそのとき最も傷付けてはいけない人を最もすべきでないやり方で傷付けた。あることがきっかけでその人に腹を立てた僕は、怒りにまかせて文章を書き殴り、相手を全く顧みることなく、ただ感情の赴くまま自分のサイトにアップした。そこには自分の激しい感情だけが存在し、それをぶつけられる相手の気持ちなんてものは存在しなかった。相手が僕のサイトを見ていることを知っていたのに、それをやめることをしなかった。そのときの僕は、自分を馬鹿にされた、裏切られたという一方的な激しい怒りに支配されており、自分は正しい、正しいのだから正しいと信じる想いをそのまま表現したって何も問題ないのだと自分を正当化することに対してためらいを持たなかった。だってここは僕のサイトなのだから。言いたいことを自由に言うために存在している場所なのだ。自分の言いたいことを言って何が悪い?
 
でもその考えは間違いだ。僕は相手が僕のサイトを見ていることを知っている。どんなことでどんな風に相手が傷付くかについても知っている。もし僕がその文章をサイトに載せたなら、相手がどんな状態になるかということも容易に推測することができる。自分のサイトであるという理由だけですべてが許されるなんてあり得ない。そんな当たり前のことにすら僕は気付いていなかった。
そして、その行為によって僕は大切な1人の友人を失った。あれからもう何年も経っているのに、この過ちは僕の心から消え去ることはなく、むしろ時が経つにつれてその存在は大きくなり、今でも後悔し続けている。
そんなことを考えながら、ある日友人に勧められた本を開いてみたら、冒頭、「人は記憶から逃れることはできない」という趣旨で始まっていて、何か見透かされたような気持ちになる。
僕は言葉の力を甘く見ていた。一時の感情で吐かれた言葉がどれだけ人を深く傷付け、一瞬にして今まで築き上げられてきたすべてのものを壊すことのできるものであるかということに対して、あまりに無自覚だった。
そこにはもちろん、自分が正しいことを言っているのだから当然の主張だという気持ちがあったわけだけれど、実際のところ、当時の僕の意識は「言いたいことを言う」というその点だけに集中しており、行為そのものの妥当性についての検討や、相手の気持ちへの配慮は完全に欠如していた。仮に僕の言い分に正当性が認められたとしても、僕はひとりの人間としてその言葉を口にすべきではなかったし、もし口に出すにしても、それは直接相手に伝えるべきことであって、公開のインターネットという場でまるで晒し者にするかのようなやり方が果たして許されるべきことであるかは、考えるまでもなく分かることだ。当然に否であり、完全に僕に非がある。
なぜそんな簡単なことに思い至らなかったのだろう。なぜ僕はほんの少しでも相手の気持ちを思い遣ることができなかったのだろう。なぜその行為によって大切な関係が永遠に失われると想像できなかったのだろう。
僕は当時開いていたサイトを閉じ、3年分に及ぶ過去ログも全部消した。いい気になって書き続けた過去を消したかった。でも、ログは消えても人を傷付けた事実は消えない。謝っても人間関係は元に戻らない。僕が時間をかけて学んだのは、「一度起きた現実を消すことはできないし、なかったことにもならない」という、単純な事実だけだった。
それからかなりの時が過ぎて、もう一度新しく日記サイトを始めることにした。それが今のサイト。でも、もう同じ過ちは繰り返したくない。身勝手な自分の振る舞いによって大切な友を失いたくない。
「言葉を刃として使わない」
このサイトにおける最低限の決まりごとは、このようにして導かれた。わざわざここで宣言する必要はないし、ただ自分の中で思っていればいい性質のものではあるけれど、自分への戒めのために、あえてここに記すことにする。